【#艦これ】史実の大和の犠牲は英雄的だったと言えるのか?

史実での大和最後の戦いについて、海外の提督さんたち(一部日本人)が議論していました。

海外の提督さん
大和の沈没を英雄的犠牲と呼ぶのは、日本人であっても無理があると思いませんか?

日本の提督さん
私は日本人です。
大和の沈没は愚かな決断による悲劇であったにもかかわらず、半世紀にわたって民族の伝説として語り継がれてきました。
第二次世界大戦中、大和型は極秘扱いされ、一般の日本人がそれらを知るようになったのは戦後であり、大和のことはあまり知られていなかった。
もし大和が戦後、日本海軍に解体されたり、アメリカ軍に標的として撃沈されたりしたら、すぐに忘れ去られてしまったでしょう。。

大和の名声はその悲劇的な最期によるものであることは間違いありませんが、それは一冊の本によって広まりました。
1952年、大和の若き将校だった吉田満が「戦艦大和ノ最期」という小説を発表した。この本は、敗戦と破壊が避けられない状況下での兵士たちの自己犠牲と献身を描いたもので、やがて日本文学の古典的地位を獲得することになしました。
この本は、戦闘報告のような簡潔な言葉で書かれていますが、言葉のリズムは見事でした。歴史小説というより叙事詩であり、吉田は日本のホメロスと呼ばれました。

この本によって、大和は単なる戦艦ではなく、日本民族の悲劇的偉大さの精神的象徴となったのです。

海外の提督さん
天皇陛下に「負けました」と言う勇気もなく、それでも何千人もの人を死に追いやる勇気を持った指揮官たちの、無意味な浪費だったのです。

海外の提督さん
要するに、何の成果もない特攻作戦だったのです。艦隊が何百キロ、何千キロも離れている間に、飛行機が全部やってしまったのだから、その結果、接近してくるアメリカ艦隊が本当に遅れたのかどうかはわからない。自分の最強の資産を、その可能性がほとんどなくなってしまった時のために取っておくというのは、英雄的なことではありません。しかし、映画「アルキメデスの大戦」のように、日本の象徴としての大和の犠牲は、上層部が目を覚まし、自分たちが無敵でも神でもないことに気づき、この狂気を終わらせる(あるいは、狂信的な国民の政府に対する見方を変える)ために必要だったのです。もし大和がもっと早く戦場に送られ(あるいはレイテが長引いた)、ビスマルクやシャルンホルストや霧島のように乱戦の末に沈没し、その過程で敵艦(できれば戦艦や空母)を数隻沈めたとしたら、それは英雄的な犠牲と悪名高い結末となるでしょう。また、市民は自分たちの最強の戦艦とその乗組員が敵の全艦隊を引き連れて戦死したと聞けば(大げさですが)、士気の向上に大いに役立つことでしょう。これは私の意見ですが。

ワールド艦これ管理人
ワールド艦これ管理人

「英雄的だった」「いやそうではなかった」というのは結末を知っている現代だから言えるわけで、当時の人達にとっては、この先どうなるかわからない中で自分たちがとりえる最善の策を実行したのだと思います。

worldkc

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1件のコメント

  1. ベトナム戦争で泥沼の消耗戦をしたアメリカならば、引き際の難しさは理解できると思うんだがな。